湯原の湯から水上温泉へ


水上温泉は昔、「湯原(ゆばら)の湯」といわれた。
明治22 年(1889)年に湯原村は、藤原村と夜後村を加えて水上村となり、昭和22(1947)年に町制が施行されて水上町となった。さらに平成の大合併により、月夜野町と新治村とを併せて「みなかみ町」と呼ばれるようになったが、水上温泉と言った場合は今でも旧「湯原の湯」のことをさす。
水上温泉が今日のように、群馬県を代表される温泉地として知られるようになった最大の要因は、上越線の開通により他に例を見ないほどの発展を遂げたからである。
昭和3(1928)年10 月に水上駅までが開通。それまで湯原には2,3 軒の旅館しかなかったが、これを機に東京方面からの浴客が増え急速に発展し、いつしか「湯原の湯」は水上温泉と呼ばれるようになった。やがて群馬県と新潟県を結ぶ東洋一の清水トンネル(9702m)が完成し、昭和6 年9 月に上越線が全面開通すると続々と旅館が建てられ、草津温泉や伊香保温泉と肩を並べる大温泉地へと変貌した。

湯の道を作った海翁和尚


「湯原の湯」の発見には、こんな伝説がある。
永禄年間(1558〜1570)のこと。建明寺という寺に、海翁という和尚がいた。海翁はある秋の日、利根川沿いの崖から白い湯煙が上がるのを見つけた。怪しんでよく見ると、崖の中腹に洞窟があり、そこから熱湯がこんこんと湧き出していた。「温泉だ。ありがたや」と喜んだ海翁は、この恵みの湯を村人たちのために生かそうと考えた。
しかし崖の中腹から、どうやって地上へ湯を上げるかである。村人を集め、粘土で湯の道を作ってみたが、何度繰り返しても失敗してしまう。「もはや、仏の加護にすがるしかない」と、小石の一つ一つに経文の文字を書いて、その小石を粘土の中に入れて積み上げた。すると湯は、まっすぐに崖を上がっていったという。村人たちは喜び、それまで茨原村と名のっていたこの村を、湯原村と呼ぶようになったとのことである。
引用文献
「みなかみ18湯〈下〉」小暮淳著、A5判、112頁、並製本
定価 本体953円+税
湯の数だけ 歴史がある―温泉シリーズ第4弾!―
利根川源流の温泉地 水上温泉郷、緑と民話の里で知られる 三国・猿ヶ京温泉郷、街道沿いの古くからの湯治場 月夜野・上牧温泉郷など、みなかみ町には18の温泉地がある。昨年刊行の上巻では水上温泉と猿ヶ京温泉の2温泉地、下巻では谷川温泉、湯檜曽温泉、宝川温泉、法師温泉、上牧温泉など16温泉地を紹介。上下巻合わせ75軒の源泉宿を掲載。